ブラぶら
出雲街道vol3
城下町、津山周辺
勝間田の町を抜けると旧街道とR179号線はくっついたり
離れたりしながら平行に走ります。5km先の美作大崎駅の
周辺にも古い町並みが残っているので時間のある人はチェッ
ク!この美作大崎から津山に向いて右に少しカーブしている
旧街道沿いにこんな石が…
これって…何???
昔、森忠正さんが津山藩主として入
ったとき城下を整備する間、他藩の
大名が城下を通るのを嫌がってここ
から別の道を通らせたんだって。物
の資料によると…種〜荒神山〜佐良
山〜錦織〜院庄という道筋だったみ
たい。この道筋には美作の国分寺な
んかもあるのでまわって見るのもい
いかも? ここからR179を1.
5kmいくとそれまで右手に沿って走っていたJR姫新線が離れ
るところがあります。ここがちょい解りにくいんですが線路に沿
うように入ってく道があるのでこちらへ。右手にozというラブホ
が見えたら左折。あ、この道がれっきとした旧出雲街道だよん。
左折して上り坂を登った所が河辺地区。ここには道標2基と枡形
跡、御旅所跡などが残っています。枡形ってのは‘門’みたいな
もんです。(←シャレよ、シャレ!にゃはは)ここからが津山城
下ですよってこと?
枡形跡を過ぎたらR179に突き当たります。徒歩の方は国
道を渡って反対にある階段を下りてみましょう。ここって、多
分昔の道そのままよね?って感じの道があります。踏み切りも
何もないんですが道は線路を越えて津山市内へ…
津山…初めて来たのはもう10年くらい前。何の目的もなく
ブラぶらっと。出雲街道っていうのを知ったのもこの時だった
かなぁ?車に自転車積んでさ、、、あれからいろんなことがあ
っ…え?はよ先進め?…ハイハイ。
国道(R53)を津山市街方面に行くと兼田橋というでっか
い橋があります。右手に津山ブックセンターっちゅうでっかい
本屋さんがあるんですぐわかるはず。ここの橋のたもとにこれ
またでっかい道標が…津山ってのはでっかいもの好きなんかね
?上の写真の美作国分寺分れの道標…結構新しいものだね。橋
を渡って反対側にも道標。こちらは古そう。
兼田橋東詰の道標 兼田橋西詰の道標
この古い道標、見てびっくり!右 信州善光寺百五十五里…
ぜ、善光寺ぃ〜〜??ったく、昔の人ってやつぁよぉ…
ここの橋のたもとから町並みが昔っぽくなります。初めて津
山を訪ねる人はとりあえず津山市観光協会の作州ふるさと観光
センターに行ってみるといいよ。R53を西へ。ショッピング
センターのイズミの二つ先の信号を右。二つ目の信号をもっか
い右。そしたら左にあります。ここに城下町の地図があります
んでそれを見ながら勝手にどうぞ…イヤイヤ(;¬_¬)
その地図の(変わってたらごめんなさい。)城東界隈の右端
17番の道標、むかし町家、荒神曲り…見所はたくさんありま
す。観光センターでレンタサイクル(2時間200円)を借り
るといいよ。あ、そうそう結構笑ってしまうのが観光センター
隣の津山郷土博物館まえの道標。津山中の道標を集めたんかい
っ!てくらい道標がニョキニョキ生えてます(笑)。
荒神曲り…曲がって見える??
地図、、、クリックしてでっかくして見てね。。。
町名を見ると勝間田町、林田町、京町、伏見町、吹屋町…街作りを
する時いろんなところから人呼んだんでしょね?中華街…みたいな
もんでしょうか?そういえば神戸の元町もこんな感じでした。
津山には他にも城西の寺町や武家屋敷、鶴山城址公園など見るとこ
いっぱいですじゃ。とても一日では回りきれましぇん。
院庄から坪井宿へ。
城西地区の翁橋から西へ。解りにくいんですがそれっぽい道なり
道を進むと右手にR179が近づいてきます。国道には出ずにそ
のまま行きましょう。院庄の駅前を過ぎて旧道は線路沿いに進み
ますがちょっと寄り道。院庄IC近くの作楽神社へ。ここはもと
もと美作国守護職の館で江戸初期に神社になったんだって。『出
雲、石見、伯耆、備中往来の旅人毎にやどる。但し駅伝に非ず。
相伝う。此の地後鳥羽院の御荘なり、故に院庄と名づく。』のだ
そうだ。嘘かほんとか知らんけど、『こぉけぇのぉ〜〜むぅうぅ
すぅまぁ〜〜でぇ〜〜♪』のモデルになった石まであるんだよん。
出雲街道に戻ったら作楽神社分れの道標を探しましょう。ここ
行った日、ちょうどこの辺工事してて、警備してたおねいさんが
すっごい可愛いくて写真に入ってって言ったら(言うなぁ!)断
られてもうた…(TT)
もう少し行くと吉井川を渡りますが、ここが城下町整備の間迂回
させてた道の分かれるところ。この辺りにも中須賀舟場の常夜灯
があるんですが、すんません、写真がありません。誰か行って写
真とって来てちょ。道の駅久米の里を過ぎたらR181を渡って…
旧道を行くと茶屋一里塚跡があります。木の下にいかにも観光協
会もしくは教育委員会が建てましたって感じの案内石(?)が立
ってて興ざめしますなかなか街道風情があっていい感じ!国道に
戻って4km行くと坪井宿。ここもいかにもって感じのドデカイ
看板が出てるんですぐわかります。この看板のでかさにも笑って
しまいますが…ここを左に。すぐに坪井一里塚跡。そして、坪井
宿の町並みがあります。看板の割に(?)ひっそりとしていて良
い町並みです。結構好き。
久世宿&その周辺。
坪井宿を出発して4kmほど行くと左手にJOMOのある三叉路。
左折するとJR姫新線、美作追分駅。ここまでがんばって姫路から歩
いてきた人にはもうお解りですね。そう、追分です。追分原というバ
ス停もあります。追分ってもともとは旅人と宿場の見送り(追い人)
が分かれる場所…だそうな。ここから1.5km先の河内という集落。
昔はその名もズバリ‘宿’といってたみたい。ただ、出雲街道の宿場
町ガイドとか見ても入ってないけどね。
追分には大小2基の道標。讃州金毘羅、出雲大社、伯州大仙、伊勢
大神宮などの文字。信仰の道だったんだなぁ…と、再認識。この先の
河内集落にはなまこ壁の古い家や、母屋と納屋(蔵?)を二階部分で
渡り廊下みたいなのでつないだ立派な家など旧街道臭プンプンの街並
が残っています。
さてさて、R181を西へ。高速道路をくぐったら右に分かれる細い
道へ。すぐの橋の手前で道は二つに分かれます。もちろん今は橋があ
るのでまっすぐ行けばいいんですが…新しい道は左へ。とりあえず右
へ…川の手前の道を入ると途中で動けなくなるので、橋を渡ってなま
こ壁の家の交差点を右へ。この家も立派。天然目木砥石の看板。小学
校を過ぎて小高い丘に突き当たりそうになったら左へ。左に大きくカ
ーブした先二つ目を右…ちょっと解りにくいねぇ。ま、がんばってう
ろうろしてちょ。人ばっかり頼ってちゃぁいかぁ〜〜ん!たかっちも
この辺りは苦労しました。…で右。六十六部塔があります。漆塗り(
?)のお椀がぶらんぶらんしてるからすぐわかります。ここで新コー
ナー!(笑)たかっちのブラぶら豆知識。六十六部塔とはなんぞや?
六十六部塔とは、経典供養塔の一種で、別名を「廻国塔」というんだ
そうです。書写した法華経を全国六十六ヶ所の霊場に一部ずつ納める
目的で、諸国の社寺を遍歴する行脚僧のことを『六部さん』『六十六
部さん』と呼んだそうです。この塔は六部さんのための道標ってとこ
でしょうか?解らないのは‘お椀’です。他の地域の六十六部塔には
お椀がぶら下がってるとこなんてないのにここだけなんで?昔、六部
さんに一夜の宿を提供したり、お接待をしたそうなのでその名残でし
ょうか?延享5年…西暦1478建立。道なりに少し行くと左手に小
さな道標。台金屋の道標。右 久世道左 薬王寺。
さっきの天然目木砥石の家まで戻ったらIC方面に橋を渡って右折。
国道をくぐって川土手の道へ。1kmちょいで大庭地区です。公民
館の前に立つ(公民館っつっても普通の民家みたいだけど)道標。
右面…左 津山 大阪 正面…久世 かつやま 左面…木山落合
岡山。こっちの道は結構遠回りなんだけど台金屋の道よりも広くて
洪水で足止めされることもなかったので参勤交代の大名さんなどは
こちらを通ることが多かったんだって。ここから2〜300m位行
った所のナントカ建設の資材置き場にも『工事にじゃまじゃったん
で抜いてきた』(;¬_¬)道標が1基…もうないかなぁ?
突き当たりの大きな道を右折して道なりに。橋を渡って川土手を少
し行くと大きな橋があるので右折。すぐにショッピングセンターが
あるのでお車はここに置きましょ。国道に出たら左へ。久世町役場
の前を過ぎたら左に商店街が見えてきます。この商店街が宿場町の
あったところ。少し入ったところに結構昔の面影。川沿いの大きな
松やなまこ壁の家、古い教会。久世は旭川の高瀬舟の湊町としてず
いぶん栄えていた街。江戸時代には遊郭もあったそうです。国道沿
いには明治の建物、旧遷喬小学校も。
高田宿(勝山)
町並み保存地区数々あれど…ここ、勝山は良いとこですなぁ。
駐車場は郷土資料館の先が広くて便利。駐車場の目の前に顆山亭と
いう無料休憩所があるので、ここでガイドマップを入手。この通り
がまんま出雲街道。暖簾のかかる町並みはなんか、とってもいい感
じ。和食の郷宿前の三叉路や中橋からの高瀬舟の船着場と町並み。
武家屋敷、侍屋敷跡、寺町通り…町並み指数93!(←わかる人は
相当の町並みマニア(笑))御前酒の酒蔵前に大仙倉吉道分かれの
道標。この辺りも良い良い。あ、この道標、4年前はここから神橋
を渡った反対側にあったのじゃ。国道を通したとき移したのをまた
元に戻したんだって(日本一忙しい道標じゃ)。
今は勝山という街ですが昔は高田宿といっていました。1679
年に森氏が断絶した後天領時代を経て1764年に三浦氏が入封。
このときに勝山と改められたそうです(お!なんだか知的!)。高
瀬舟の発着場は‘がんぎ’といって、ここからは鉄、たばこ、木綿
などが運び出され、塩、紙、石油などが荷揚げされていたそうです。
昭和初期までは実際に使われてたんだとか…。でもその頃って川の
水、もっといっぱいあったんだろうね?今の水かさじゃ、んなでっ
かい舟浮かべられんよね。
美甘宿
美甘…なんて読むでしょう?正解は‘みかも’です。でもなんで美甘
なんでしょ?なんか由来のありそうな地名だね。美甘神社ってのもあ
ったけどね。
神橋を渡って高田宿を離れたら橋の正面の道を登ります。ここから
杉ヶ乢をこえて神代まで、細い道ですがここが旧街道。峠近くの寺河
内集落付近では谷の反対側に昔の道がそのまま残ってました。神代で
R181と合流。3kmくらい行くと八反と言うバス停近くの右側に
美甘出雲街道出入口という看板と案内地図。出雲街道を歩くならここ
は歩いてみるべき。鉄問屋跡の石垣や茶屋跡、舟形地蔵(裏に享保二
十年念仏九三回忌…の文字)など見所もたくさんあり、歩いて旅をし
た昔の人の苦労が良くわかる道。途中道が崩れてなくなってる部分と
かあるのでハイヒールやサンダルでのトライはやめたほうがいいかも?
歩くこと1時間半。ひとつ先の湯谷というバス停辺りに出たら大成功。
あ、でもバスで八反まで戻ろうたって無理無理。だって、バス一日に
・・・便しかないから安心して歩いて戻ろう(^。^)
美甘宿はひっそりしてて、でも商店などがたくさんあって昔はにぎや
かな町だったんだろうな?と、想像。宿場町といってもちょうど新庄
と高田の中間ということでもっぱら休憩に使われたみたい。