ブラぶら

                          出雲街道vol2  

 千種分れの道標

 
 
千種分れの道標

三日月から約4km。千種川の橋を渡ったら右へ。200mく
らい進んだら左のブロック塀の下にあります。この道標探すの、
苦労したぁ!橋の左に昔の町並みっぽいとこがあってそこかな
ぁ?って探してたらぜんぜん違ってました。<右 山さき ち
くさ 道>。山崎って因幡街道の山崎だと思うんだけど、地図
を見たら中国自動車道沿いに切窓峠や八重谷峠、少しはなれて
寺坂峠…智頭街道の平福や大原の宿場から山の中を抜けて千種、
山崎に行く道もあったんだろうね。。。

 佐用&平福の町並み

徳久の駅前を道なりに右折。佐用坂を越えたら佐用の町です。
…んでね、佐用の町なんですが、、、ね、なにもないのよ。
つまんない。(わぁ!佐用の人、ごめんなさぁい!)青山か
ら辿ってきた出雲街道なんですが、ここから北に行く因幡街
道とに分かれます。逆にいえば出雲街道と因幡街道の合流点
で、交通の要だったところ。昔はずいぶん栄えた町だったみ
たい…ってか、今も結構栄えてます。それ故に昔の町並みが
消えてしまったかなぁ?上町の信号を左折してすぐを右に入
った所に松江藩の本陣跡の碑があります。上町信号手前から
に分かれる道沿いとこの本陣碑のあたりがなんとなくそれっ
ぽい(どれっぽい?)かね?

  
  
佐用宿本陣跡碑         本陣跡付近の町並み

でね、ちょっと寄り道。上町の信号
を左に折れてR373へ。5km位行
くと平福宿です。佐用まで行ったら平
福に寄らんとね!だって、佐用町のH
P見ても平福のことばっかしなんだも
ん。
(かさねがさね、佐用の人…m(_ _)m)
平福は昔の町並みマニア(?)にはた
まりまへん。

 

  
  
  平福宿町並み                平福宿町並み

平福宿は因幡街道随一の宿場町として栄えたところで、街道沿
いの町並みには格子窓の町家が建ち並び、街道の裏側になる佐
用川沿いには、川座敷や土蔵群が並んでいます。この他にも陣
屋門、本陣跡etc…国道沿いには道の駅平福も。ここを訪ねたの
は10月だったんですが、道の駅や国道沿いのあちこちで『黒
豆、黒豆』って売ってて…あの、よくあるじゃない?ドライブ
してると『かに、かに、かに…』とか、『メロン、あまぁ〜い、
産地直送…』みたいなやつ。あんな感じで黒豆が…で、ついつ
い催眠商法(?)にひっかかって買ってもうた。。。そしたら
この黒豆が美味しいのなんのって!そこのビール党のあなた!
これは買い!さて、佐用のPR(笑)も済んだ所で佐用の町まで戻
っていよいよ万能乢を超え美作へ入ります。

 万能乢&土居宿

 佐用からR179を上月方面へ。旧街
道は佐用川の向うっかわを進みます。
約2km行った所、柴谷口バス停付近
で合流して次のバス停が二本松。ここ
には一里塚があったところ。地名には
昔の土地のことがよく残ってます。字
や小字まで調べるとほんとおもしろい
よね?追分、府中、〇〇本松…福岡県
と岡山県邑久郡長船町福岡…地図見て
るだけでいろいろ空想の世界が…ぐふ
っ、ぐふふっ。『地図ラァーじゃぁ…
byしのぶちゃん』…えっと、なんだっけ?
 上月三叉路を右折。4km位で急な登りが…ここ、ほんとに国道
?ってな感じで登っていくと岡山県と兵庫県の県境の標識。少し下
ったら国道を外れて右へ。小さな集落があります。ここが土居宿。
突き当りをとりあえず左へ。万能乢を目指します。国道の下をくぐ
ると左手に土居小学校があり、回り込むように左へ。ここに大きな
土居宿の案内板があるので見ておくといいよ。さて、ここから道は
細くなります。勇気(?)のある人は車でガンガン入りましょう。
あ、バックの苦手な人はこの辺から歩いたほうが無難かも…踏み切
りの手前にKカー一台分(‥;)のスペースがあるのでここに車を
置いて…踏切を渡って峠を目指します。万能乢…なんて読むん?乢
は峠って言う字よね。これ、まんのたわ、もしくはまんのだわ、と
読むそうです。乢、峠はとうげ、たわ、たお…などと読むようです。
使い分けは自分で調べてみそ!人に頼るな!(…おいおい(-_-;))
司馬センセー(だれ?)によると地域によって少しずつ、東から西
に向けてたわ→とうげに変わっていくそうじゃ。ふんっ!
踏み切りからの登り道、彼女にそんなウ
ンチクを話しながら(彼女連れでいかん
といけんのんかぁ〜〜い!)10分くら
い、右手に『梅香塚』。芭蕉の句碑です。
〜むめか香にのつと日の出る山路かな〜
ふむふむ。じぇんじぇん解かりましぇ〜
ん。ここからさらに5分くらいで万能乢
頂上に到着。結構きついんだけど、これ
でも万能乢が開かれるまで通っていた杉
坂峠に比べると楽なんだそうだ。まった
く、昔の人ってやつぁよぉ…ふっ(謎)
 昔はここから播磨の国の景色が一望できたらしいんですが、今は木
が生い茂っていて何も見えません。車に戻ったら先ほどの看板まで戻
りましょう(戻れるかなぁ…?イヒヒ)。案内図であらかじめ町の様
子を頭に入れたらいよいよ町並みへ。東西の惣門跡や本陣、脇本陣、
札場など…あったんだろうけど、今は跡看板があるくらい。でも、す
ごく雰囲気のある町並みで、結構好きです。約700mの宿場町。人
も車もあまり通らずひっそりとした町をブ〜ラぶら。西の端には門尻
橋と一里塚。昔は道の両側に榎が立っていたそうですが、今の松は昭
和47年に復元されたもの。

  
  
土居の町並み          ブルー…一里塚     ピンク…万能乢

 杉坂峠

こっ…これは?なんぢゃ?すっげぇ、
すっげぇ苦労してやっと見つけたのが
これです。こんなことってあるぅ?出
雲街道訪ねる時ってだいたい日帰りで
(泊まったことなんてないっ!!)急ぎ
足で回るからおよその見当をつけてい
くわけよ。どこにどんなもんがあるか…
とか。地図とか見ながら。でね、見当
をつけた所にないときはあっちこっち
探すわけですよ。でね、ここは見当を
つけた所とドンピシャ!…なのにない
のよ(+_+)道のお向かいの散髪屋のお
ばちゃんに訊いても『知らん。』言うし。ったくよぉ〜〜!どぉ〜な
ってんだよぉ〜〜〜!(T_T)・・・えっ?何がないかって?それは教え
られないなぁ!うそうそ。ほんとはこんな道標が立ってたはずなんです。

で、ここはどこかというと、土居宿からR179を西へ約3km。江見の町
の手前の杉坂峠への分岐点です。森忠正が土居宿、万能乢を開くまで
はここから険しい山を越える杉坂峠が出雲街道でした。時間がある人
はぜひ杉坂峠まで登ってみましょう。って言っても車で5、6分なんで
楽勝、楽勝。(イヒヒ…またか!←うそです。)
…ピ、ピンボケじゃん!まぁまぁ。
ここ杉坂峠は太平記にも出てくる由
緒正しき?出雲街道です。隠岐へ流
される後醍醐天皇の奪還を目指す児
島高徳が…う"ぁ〜〜、面倒くさい!
太平記は個々に読むように!
ここから佐用宿に出る道があるはず
なんだけど国土地理院の地図見ても
よう解からん。中国自然歩道と同じ
ルートなんかね、伊達君?(…誰?)
ここにくる途中に‘後醍醐天皇御口
漱の泉’と古い道標らしきもの?も
残ってました。

 

 江見宿から岡集落、勝間田宿へ

いきなりっ!たかっちのお謝りコーナー、パート2!
江見宿、という宿場町があります。ここの写真とか、資料とか、
なぁ〜んもないのよ。2回くらい通ったんじゃがなんか、これと
いって…ここも宿題にしといてください。さて、江見の宿から出
雲街道と国道は離れてしまいます。江見側からは入ってないんで
すが、それらしい道はないみたい。R179を3km行くと平福
という信号があるので右折。道なりに行くと中国自動車道を越え
るのでそしたら右折。神宿集落です。

   
   
神宿道祖神

道祖神やお地蔵様が花に囲まれて残っていました。この道をま
っすぐ進めば江見の街に出るはず…なんですが、道は山の中へ
消えていました。チャレンジ精神の旺盛な、そう、そこのあな
た!がんばって入ってってみそ。たかっちはパスっ(笑)回れ
右で先を急ぎます。道なりに行くとしばらく古い農村が続きま
すが県道にさえぎれて旧道がどれだかはっきりわからなくなっ
てしまいます。耕地整理もされてるみたいね。
 さて、県道51号に出たら左折。美作ICの近くに‘おかや
まファーマーズマーケット(ノースビレッジ)の標識が見えた
ら右折。中国自動車道の側道になってます。実際の街道はちょ
うど自動車道の下あたりをうねうねしてるみたいですね。3k
mちょい行くとファーマーズマーケット。ここは何年か前の台
風で川に流された牛の元気君がいる所。ここの駐車場に出雲街
道の簡単な説明板があります。突き当りを左へ。自動車道を越
えて坂道を下った所が岡集落。この辺りは後醍醐天皇配流の逸
話や史跡がたくさん残されてます。

  
  
ブルー…馬頭観音         ピンク…みちしるべ地蔵

坂道を下った所にある交差点の北西の角に岡地区の案内図があ
るのでチェック!この案内板の裏手に上がる急な道を登りまし
ょ。岡集落と岡神社、馬頭観音などがありました。さっきの交
差点を左折してちょいと行くと左手にみちしるべ地蔵。ここに
あった轟池の堤防に3体の地蔵が埋められ、俳水路や入水路に
も地蔵が…面倒くさいので省略(;¬_¬)お地蔵さんの後ろに
説明書きがあるので読んでくり!その代わりまめ知識を一つ。こ
のお地蔵さん、右・くらしき道、左・かみや、とありますがこ
のくらしきはあの倉敷ではありません。ここから4kmくらい
行った所に林野と言う所があるんですがここも江戸の頃は(正
確には大正7年まで)倉敷村と呼ばれていたそうです。倉敷は
蔵屋敷から生まれた地名で、ここ林野も高瀬舟の荷物の集積地
として蔵がたくさん立ち並んでいた所だそうな。

案内板の交差点を南へ。R179
に出たら右折して、JR勝間田駅
前を右折。すぐを左折したらそこ
が勝間田宿。少し入ると右手に中
之町商店街の駐車場があるのでご
めんなさいしてちょっと駐車。古
い建物と新しい建物が混在した町
をブ〜ラぶら。 あの、、、ね、
さっき出てきた倉敷って町、ある
じゃない?そうそう、美観地区の。
あそこって、作り物ぽくってあまし好きじゃない。
額に入れて飾ってある感じ?残してあるんじゃなくて、残っち
ゃった…みたいな出雲街道の宿場町は、生活の匂いがしていい
なぁって思います。土居の町並みに立ってたリポビタンDの幟
も、これから行く津山のラブホも(‥;)、今の街道はこうな
んだよって自己主張してて大好きです。 さてさて、勝間田の
町並みは4〜500m位かね?石畳風の舗装がしてある道の両
脇の溝もきれいにしてあって、金時公園(金太郎さんって、ここ
でお亡くなりになったんだって?や洋風の建物の勝央町郷土美
術館など見て歩くにはちょうどいいです。郷土美術館の前の蔵
は二つあった本陣の一つ木村家のものだとか。この裏にもう一
つの本陣山下家があって、建物の一部は残っているそう…そう
?…そうです、たかっちは見落としてしまいました┓(´_`)┏
違い棚とかふすま、障子の取手金具なんかは昔のままじゃそう
じゃけん行ってみたらええんじゃないん?

 
  
  郷土美術館         勝間田の町並み

さて、勝間田を出発して次に目指すのは出雲街道最大の宿場町、
津山を目指します。
(…なんか、トラベルエッセイみたくなってきた?)