ブラぶら
出雲街道
出雲街道ってなに?どこにあるん?・・・いう人もいると思います
んで、まぁ、基礎知識をちょいと。。。
どこからどこまで?
姫路の青山というところから松江城の三の丸まで全長53里、
約210kmあまりの街道です。
道筋は?
山陽道の姫路から分かれて飾西宿、觜崎宿、千本宿、三日月
宿、佐用宿(ここまで播磨国)、土井宿、勝間田宿、津山宿、
坪井宿、久世宿、高田(勝山)宿、美甘宿、新庄宿(美作国)、
板井原宿、根雨宿、二部宿、溝口宿、車尾宿、米子宿(伯耆
国)、安来宿、出雲郷宿、松江城三の丸(出雲国)まで。
何の道?
古代たたら鉄を運んだ道。後鳥羽上皇や後醍醐天皇の隠岐の
島配流の道であり、江戸時代には参勤交代で使われ、庶民の
出雲大社への参拝の道。
・・・とまぁこんな感じですが、難しいことはおいといて今現在も
いいところがたくさん残ってるのでとりあえず出発おしんこぉ〜。
姫路
姫路城って行った事ある?おっきいですなぁ!
全部見て歩こうかと思ったら一日がかりである。
そうそう、初めて知ったけど播州皿屋敷のお菊
井戸って姫路城のすぐ下にあるのだ。大手門を
出て少しまっすぐ行ったら国道2号線を右折。
西へ約5km、右手にマックが見えたら車なら
ここに駐車。マックでハンバーガーとナゲット
をgetしたら(無断駐車はご遠慮ください …)
旧街道へブ〜ラぶら。
夢前橋を渡ってまずは青山の道標を探索。
橋渡って右に曲がったら道路の左側を歩きます。
そしたらすぐわかるはず。これがわからんよう
ではこの先ついてけないかもよ。。。見つかっ
たら橋を戻ってマックの手前を左。すぐを右に入ったら旧街道の
面影がバッチリ残っていました。軒の低い町並みを見ながら少し
行くと左手に下手野の道標があります。山陽道を歩いてきた旅人
はこの二つの道標から山間の道、出雲街道へ分かれていったのです
なぁ。あ、getしたマックをいただくのなら夢前川の東岸がおす
すめ。お天気のいい日ならの〜んびりできるのだ。
飾西宿
…さて、出雲街道分れの道標を見つけたらいよいよ街道歩き
のスタート。青山の道標の前(国道29)を北へ。余部駅を
過ぎて次の信号を右折。川沿いに出てすぐの二股を左へ。細
い道を約300m行くとロータリーっぽい三叉路があるのだ。
そのロータリーが出雲街道と書写山、円教寺の分かれ道。
傍らに立つ道標からブ〜ラぶら。右は書写山への参道。左は
飾西宿の宿場町がある。旧街道に沿って歩くと右手に造り酒
屋風の煙突のある古いお屋敷、左手に飾西宿本陣跡が見えて
くるのじゃ。本陣跡の門の崩れかけた屋根や剥がれた白壁が
いかにも!って感じ。ロータリーまで戻って書写山道へ。1
50mくらい行くと割と新しめの道標が…地図を見ると姫路
城から直接飾西までくる道が新しくできたのが解ります。
ピンクー道標
みどりー本陣
追分の道標
7〜800mの宿場あとを抜けると再びR29へ。
前に来た時にはここのかどにハンバーグのおいしいレストラ
ンがあったのになくなっとるぅ〜〜(+_+)。。。ハンバーグ
好きのたかっちとしては『出雲街道といえば、飾西のハンバ
ーグ!』ってイメージじゃったのに(なんのこっちゃ)これ
からは『出雲街道といえば作用の枝豆』??って感じ。ファ
ミレスのガストってあるじゃない?あそこのハンバーグも結
構好き。硬さといいソースといい大好きな味。安いし・・(^^;
R29をさらに北へ。約4.5kmで‘追分`という交差点
に。左折したらすすぐを左折。数十mの四つ角に追分の道標
べが。追分村の集落から右へ因州・伯州、左へ作州・雲州の
文字。R29の手前1kmの所に伊勢茶屋という所があって
そこから追分までも旧道があるみたいだけど今回はパス。
觜崎宿
追分道標から左の作州、雲州方面へ。1kmちょっと行くと林
田川を渡る橋。橋を渡ったらすぐを右へ。荒神社の前に2基の
道標。灯篭もあわせたら3つかね?‘右 林田 安志 山崎
左 −- −− −−’‘右 姫路 書写 神戸 大阪 すぐ
林田 安志’肝心の左に何が書いてあるのか?写真撮ったん
じゃがちょうどお祭りで幟が立ててあってよぉ〜わからぁ〜ん
(T_T)
さて、ここからの出雲街道は県道を渡り神岡小学校の南の細
い道を。あ、車は通れるんで大丈夫。道なりに進むと一度県
道に出ます。左折したらすぐにたこ焼き屋さんがあるのでそ
こを左へ。ここのたこ焼き、安いけど美味しいよ。なんか昔
の懐かしい感じのするたこ焼きです。少し行くと踏み切りが
あってそこから先に觜崎宿の町並みが。右手の立派な門が脇
本陣(ブルーピン)、その先左手が本陣あとです(グリーンピン)。
揖保川をはさんで向こう側は向觜崎村(そのまんまやん!)。
ここは寝釈迦の渡しという渡し舟があった所。対岸の山並み
が、お釈迦様が仰向けに寝ているように見えることからこう
呼ばれているんだそうな。揖保川の堤防には寝釈迦の渡しの
石碑が立ってます。
輪袈裟の清水、新宮の道標
觜崎橋を渡ってR179の船渡
交差点を右へ。すぐの信号を左
折。5年前はやっと舗装がすん
だ程度の道でだったけど今は立
派な道になってます。田んぼの
中に道をしばらく行くと左に輪
袈裟の清水が見えてきます。尋
ねた時は水は出てなかったけど
古の旅人はここで喉の渇きを潤
したんでしょうなぁ。
さて、そのまま県道224を
進むと橋に出るんですが、橋の手前の左手に見える集落もなか
なか趣があってええですなぁ。農村っっ!!って感じ。橋を渡
って再びR179を左折。すぐ右手に『道の駅新宮』があります。
3回ぐらい立ち寄ったけどいつもにぎわってます。農産物の直
売所(ねぎとピーマンを買いました。※ドライブ中にねぎを買
うのはやめよう!なぜって…?)とか焼肉レストランとかお土産
やさんとか、かなり充実してます。ここの正面入り口に昔、新
宮村に立っていたという道標が移されています。左 ひめぢ道、
右■乃道(龍野)元禄十五年壬年二月の文字。ってことはさっ
きの船渡の交差点あたりに立っとったんかね?元禄十五年っつ
たら1702年、赤穂浪士の討ち入りの年じゃね。
※注…地図が見えにくい人はクリクリしてみそ!
千本宿
R179を西へ5km。千本駅の標識が見えたら右折。っても
直前に橋があって曲がりにくいので注意してね。踏切をわたっ
て少し行くと千本宿本陣『内海家』が見えてきます。立派な門
があるのですぐわかると思います。町並みはそんなに残ってな
いけど古い土壁と立派な門が十分昔チックなのだ。
三日月宿
さらにR179を西へ、西へ。相坂峠を越えて6kmちょい
走ると国道から右に分かれる道。不思議なんですがこんなこ
とばっかりやっとるとなんとなく直感的に『あ、こっちが旧
道かな?』ってわかるようになるよね。JR姫新線三日月駅
まで行くと行き過ぎなのでもどって、もどって。
三日月宿本陣
約600mくらい昔の町並みが残ってます。新しいアパートも
昔風の造りでなんだかいい感じ。ここから駅方面へ。駅の少し
手前の道を右へ。昔風の橋を渡ったら乃井野という地区。
…と、ここでいきなり“たかっちのお謝りコーナー”
いろいろ調べるうちに重大なミスを発見!この乃井野という地
区が実は三日月の中心だった所(…らしい)。ところがたかっ
ちはこの辺をすっ飛ばしてしまったのだ。ちなみに物の資料に
よると…
城下町乃井野…三日月藩は、佐用郡・揖保郡・宍粟郡の合計65ヶ
村一万五千石 を領地とする郡内唯一の藩でした。藩主は津山藩
森家の分家で、古くは織田信長 に仕えた森長定(蘭丸)の流れを
くむ家柄です。森家の陣屋(陣屋は、小さな藩の 主の住居地)は、
三日月町乃井野におかれ、その周囲には武家屋敷が築かれまし
た。 乃井野は、三日月藩の中心地として栄えた地域です。現在で
も、当時の陣屋 を中心とした城下町としての町割り等ほぼ完全な
状態で残っており、歴史的に希少 な歴史遺産であるという評価も
受けております。
だそうだ。。。また行くことがあったら必ず寄って見ようと思います。