ブラぶら
出雲街道vol4.
新庄宿と四十曲峠
ふぅ…って、何ため息ついとるんじゃい!!
いやぁ、ついにここまで来たか…って感じですね。そもそも
出雲街道に興味持ったのってこの四十曲峠だったんよね。地
図で四十曲峠見て、なんて読むんじゃろ?って。で調べてる
うちに出雲街道のことや、その他の中国山地を通ってる街道
や峠のこと知って、行ってみたいなぁ…と。かれこれ10回
位通ってるけど、何回行っても新しい発見があってやわらか
い風が吹いてて…うん、うん。。。うん?
こんな町並みが残ってるなんて
…って思ったね。町並み指数1
20%!!(笑)
新庄の町は理屈抜きにいいで
す。周りはぐるっと山に囲まれ
て、まんが日本昔話しに出てく
る‘村’って感じ。今年の5月
に訪ねたとき新見から日野を通
らずに直に新庄に出る道を通っ
たんですがほんと山の中からい
きなり新庄に出る感じでした。
江戸初期には6戸しかなかった村が元禄二年には四十二戸、
幕末には100戸になって、今でもその数はあまり変わってい
ないみたい。約300mの町並みに本陣佐藤家、脇本陣木代家
(写真)、がいせん桜…道の両脇に水路があってその流れの涼
やかな音(日本の音風景100選にも選ばれてるらしい…って
かそんな100選もあるとは…)。その流れをせき止めたいけ
すに鯉。ええなぁ〜。。。
あ、でもこの鯉ちゃんたち、昔
は旅人の夕食だったんだってさ…
( ̄▽ ̄;)昨年10月に行っ
たときはなんかのお祭りみたい
で焼きおにぎりや山菜蕎麦、牛
の丸焼きなんかをいただきまし
た。桜祭りのときとかも行って
みたいなぁ。そうそう、近くに
道の駅、メルヘンの里新庄があ
って、そこでも地元のお野菜と
か売ってます。ここで買った干
し椎茸は肉厚でぶち美味しかっ
たです。写真に写ってる桜並木、
がいせん桜といって、明治39
年日露戦争の勝利を記念して植えられたものだって。手元のパンフ
によるとがいせん桜祭りは4月中旬の日曜日だそうです。詳しくは
新庄村役場(0867)56−2626まで…ってなんのこっちゃ。
で、新庄の見所はここだけじゃないのだ!西の御幸橋を渡ったら
国道に出る手前を左折。すぐに国道と斜めに交差するけどまっすぐ
行きましょ。しばらく行くと杉並木。その周辺が後鳥羽公園(お役
所らしい命名。)になってて隠岐に流される後鳥羽上皇にまつわる
しだれ栗や歌碑などの史跡があります。も少し登れば嵐が乢。ここ
から下ったところが二つ橋の集落。四十曲峠を控えてお茶屋さんが
あったらしいです。
ファーストトライ…11月午後4時。もうあたりは薄暗くて…×。
セカンドトライ…3月。残雪のため…×。
サードトライ…ザーザー大雨のため…×。
やっとの思いで四十曲峠に登ったのは今年5月でした…やったぁ、
やったよかぁちゃぁ〜ん!(TT)ぅぅっ。…何回もだめだった分
感慨一入でしたね。上の道標の先を右折してしばらくは舗装された
道があるけどそこからは歩いていきます。でもパジェロminiと
かだと登れないこともないかなぁ…1km位なんで興味ある人はぜ
ひ。ここからいよいよ伯耆の国です。四十曲峠も実は伯耆側のほう
が険しいみたい。少し下ってみたんですが途中道がなくなりそうだ
ったんで引き返しちゃいました。そもそも四十曲峠とは40回曲が
ってる…始終曲がってる…の両方の意味だとか?車で四十曲トンネ
ルをくぐり伯耆側へ。このトンネル出口にもお地蔵さん。
乢根の地蔵は探すの結
構難しいっすよ。トン
ネルの出口の右側2〜
30mのところにがけ
崩れ防止のコンクリー
トがしてあるんだけど
これを登ります。鳥取
側から斜めになってる
んで簡単に登れるよん。
板井原宿
乢根から次の宿場、板井原宿方面を望み
ます。ここはもう伯耆の国。一気に出雲
に近づいたなって気がしてくるねぇ。
高いところを走ってるのはR181。下
に細い道があるの見える?まさに新旧揃い
踏みですな。高架橋を渡ったところにトン
ネル、S字カーブがあってそこにドライブ
イン板井原があります。ここの横の道から
この旧道に入れます。S字カーブから1.
5km位で板井原宿。国道の左下にひっそ
りと集落があります。四十曲峠を控えた伯
耆側の宿場…にしては小さな集落。資料も
あまりないので(-_-;)よく解りませんが、
県指定の江戸後期の建物なんかもあるみた
いです。今は酒屋さんが一軒あるくらい。
写真を撮ってると『なぁ〜んにも撮るもん
あるまぁ〜〜がぁ、がぁっはっははぁ。』
っておばぁちゃん。。。
出雲街道では珍しい馬頭観音。
勝間田の岡地区にもあったっけ?
結構新しい、昭和廿三年建立…
根雨宿&周辺
いきなり!たかっちの地名当てクイズぅぅぅ!!
今日問題はこれだ!‘高尾’…さて、なんて読むでしょう?
関東の人は間違いなく‘たかお’って読むよね?でも違うん
だなぁ。では正解を伊達君(だから、誰やねん?)、どうぞ!
これ‘こお’って読みます。では、第二問!‘金持’これは?
正解は‘かもち’です。読めんよなぁ、普通。あ、板井原か
ら下ってくと国道沿いに金持神社があります。なんでも全国
に一つしかない名前の縁起のいい名前の神社でお金持ちにな
りたぁ〜い!人や、宝くじ当たりたぁ〜い!人などがたくさ
ん参拝に訪れるんだってさ。じゃ、‘金持饅’これはなんて
読むでしょう?正解は…リッチマンって、こぉらぁ〜〜!!
おもしろいじゃねぇか!!金持神社のお土産売り場に売って
ます。ここからさらに下ると高尾。ここにも道標がある…は
ずなんだけど…駐在所の奥さんに聞いても見たことないって。
ここから備後に向かう日野往来が分岐しています。そうそう、
時間があればR180を新見方面へ。明地トンネルの手前か
ら見える大山はすごいです。ぜひぜひ。。。
今ね、地図見て思ったん
だけど高尾の道標って探し
てた場所、全然違うんじゃ
ない?もしかして日野病院
の近くなんじゃ?今度行く
ことあったらそっち探して
みよ。あと、根雨宿の手前
にはずらっと並んだお地蔵
さん。道路改修のとき山の
中にあったのを道端に並べ
たそうです。
根雨の町並みもいいですなぁ。水路や水車の音も清々しい。
鉄の商いで賑わったという町らしく見るからに豪商!って感
じの家や本陣の門、祗園橋を渡った根雨神社から見る町並み
もこれまたいい!
二部、三部
根雨の町を過ぎて川を渡り
ます。この辺りの字は‘舟
場’。昔は渡し舟があった
んだろね。ここで疑問??
根雨から二部っていうとこ
へ向かうんだけどその途中
間地乢っていう峠越えがあ
ります。その後溝口に出る
んだけど地図をよ〜く見て
ごらん?なんで川沿いに溝
口に出んかったんじゃろ?
疑問を抱きつつとりあえず
二部へ。途中間地トンネル
の手前から右へ旧街道。峠
付近には峠地蔵や茶屋跡があるそうですがたかっちはパス!なん
でって?そりぁ、もう峠はいいじゃろ…(-_-;)県道46号の信
号の手前の左の橋を渡ったところに道標。
嘉永五年…1852年の建立。二部の町はひっそり。古い町並
みはあまり残ってませんが雰囲気はいいです。ここ二部にも
後醍醐天皇の伝説があるみたいです。
なんじゃ、こりゃぁぁ?
う…うんこ?いやいや…
金の母とかいて‘ヒ(け
ら)’と言うものですな。
二部公民館の前に大きな
さびた鉄の塊。ここ二部
はたたら製鉄の盛んなと
こだったらしい。たたら
の炉床が発見されたり、
水田の中から質の良くな
い破棄されたヒが発見さ
れたり…これはその失敗
作のヒの一部です。公民
館の前から勝手に一欠け
持って来ちゃいました
(;¬_¬)二部から黒坂に向かう途中の
福岡と言う地区にはでっかい製鉄所なんかもあったみたいです。
で…あ、そうか!!だからなんですね、出雲街道が二部を通った
わけ。根雨の鉄商、近藤家や美甘の茶屋にあった鉄の卸問屋跡…
出雲街道はやはり‘鉄の道’なんですな。 街道は三部と言う地
区で二手に分かれます。もともとは溝口に向かう道筋時をとった
みたいだけど、川伝いは洪水などで足止めされることが多かった
みたいで三部から天万を経由して米子に出る道が利用されるよう
になったみたい。
溝口宿
とりあえず溝口宿に。県道46を道なりに。日野川を渡る所
に鬼守橋。ここで回れ右!山の上にでっかい鬼。溝口には最
古の鬼伝説ってのがあるそうであちこちで鬼を見かけます。
鬼のトイレ、鬼の電話ボックス、ブロンズ鬼etc。こので
っかい鬼は鬼ミュージアムの鬼。R181を渡って一本東の
通りへ。ここが出雲街道。商店街の駐車場に車を止めさせて
もらいました。お客さん以外は駐禁なんでおやつとジュース
くらいは買いましょ。溝口の町並みはだいぶ都会化されてて
にぎやか。街道に対して家がみんな斜めに建ってます。これ、
お互いの家の中が見えないようにってんでこんな建て方なん
だそうです(プライベート、プライベート)。町の北はずれ
に大山分れの道標。